年上がいいと決めた日の話
年上がいいと決めた日の話をふと思い出したので書いておきます。
僕が中学2年の春だったと思う。その日は部活もなく友達の家で遊んでいた。
その友達には1つ年上の姉がいてその日はその姉の友達(以下Aさん)もいた。今思えば思春期真っ只中だったにも関わらずあまり臆せず話していたような記憶がある。
その日は友達姉たちの所属するバレー部のユニフォームが配られた日だったようで2人ともレギュラーナンバーのユニフォームを持っていた。
その頃下手くそな幽霊野球部だった僕は一桁の背番号に少しだけ憧れを抱いており見せて見せてとせがんだ。
友達姉のユニフォームには2と書いてありAさんのには1と書いてあった。
僕はすごいと思ってバレーボールはよくわからなかったがAさんに「エースナンバーだ!すごい!」と言った。
するとAさんが「エースナンバーねぇ、ふふ、エースじゃないんだけどね、ふふ、1だとエースと思っちゃうか!かわいいね、でもありがとう。」と言った。
僕は当時なにかすごくバカにされた様な気がして少し腹立ったが何も言い返さず何となくその話は終わった。
それから少し経った後に実はAさんはレギュラーだがエースと呼ばれる子は僕と同級生のAさんからしたら後輩の子である事を知りあの時のふふという笑いの中には色々な思いが詰まってるんだと思った。
その時あの笑い方、かわいいねと言った仕草などが僕なんかよりすごく社会を知ってて、いつかは能力の高い年下に負ける日も来る、そしてそれが本当の負けなのかはわからないのよっと言っていたんじゃないかと深読みをしてその日僕は年上がいいと決めた。
それから時は流れ高校生になり、なんの縁なのか僕もバレー部に入った。Aさんとはあの日以来長く会話もしてないし高校も別だったのでそれ以降会ったりしていないが年上がいいという気持ちだけは変わっていなかった。
しかし、1つ上の先輩男子バレー部の先輩と仲良くなりその人と遊ぶ様になりその人のおもちゃとして女子バレー部の1つ上の先輩達にいろいろイタズラしていたら女子バレー部全員から嫌われてその日年上がいいと言う思想は消えた。
更新していなかった〜言い訳〜
2年半ぶりに書こうと思ってそのうちにいろいろ変化しててログインにすごく時間がかかった。
そういう僕にも沢山の変化が起きた。
まず、ギャンブルをやめたこと、あの頃吸っていたタバコも辞めたこと、と言いながら時々吸ってしまう弱い意志は変わってない。
僕に対して当たりの強い人々もどんどん丸くなったり、いなくなくなったりしてあの頃のようにそこまで社会や人間関係に苛立つことが減った。
しかしこれからの1年がとてもタフになりそうだったので、またぽつぽつ書きはじめてみようかと思ってる。
見ていた人は皆無だが誰かいたらまたお付き合いして頂ければと思います。
これからはもう少しマイルドな内容や昔話やメディアの感想などにシフトしていく予定。
では。
なぜオラオラ系は存在し続けるのか
最近大学の先輩の結婚式があった、これは大変おめでたいことであり心から祝福していますがその場で散々な思いをした友人がいた。
先輩の結婚式には先輩の先輩(以降大先輩)も来ていた、何人かは面識のある人もいたようだが僕は初めて見た人だった。その人はもう30歳を超えたいい大人だが僕の友人達になんやかんやでいちゃもんをつけビンタや酒の強要などおおよそいい大人のするような事でないことを平然とやってのけていた、まさにDIOである。
それを見て大人にもこんな人がいるのかとショックを受けた。
昔のことをいろいろ思い出すと一つのコミュニティーには一人以上オラオラ系がいた。
僕の言うオラオラ系はファッションの系統ではなく精神性である。精神性というか人間の根本的なルーツだと考えて欲しい、様々な局面においてどのような行動を取るかという原因というか原理、とイメージしておいて下さい。
オラオラ系のやることは基本的に暴力的な言動や行動で他を威圧、物事を自分の有利な方へ流す、これである。
ひとつ注意しておきたいのが僕の言うオラオラ系とはヤンキーなどとは違い一般人に大きな迷惑をかけたり警察にお世話になったりするような人種ではない。
コミュニティー内に一人はいるなんとなく逆らえないというか意見しづらい人のような人種である。
そのような感じの人あなたの近くにも一人はいたんじゃないでしょうか?
更に不思議なことに小学校、中学校、高校、大学、会社などドンドン歳をとり大人になって様々なコミュニティーに属しそして属していたコミュニティーが変わっても必ずそういう人種が存在しているということである。根本的にそういう人種の絶対量が多いとも考えられるがひとつのコミュニティーが形成される際になぜか生み出されているというニュアンスの方が近い気がする、あたかもそのコミュニティーが形成される際に必ずその人種が必要かの如く現れるのである。
そういった人種の中にはリスペクトを送ることが出来るような人物もいる、しかしほとんどはどこから来ているか理解不能な自信と強気な姿勢で威圧、その場の空気を支配、破壊、そして創造…
そして、更にオラオラ系は女性にモテるのである。
理解不能な自信と強気な姿勢は女性から見れば男らしくリーダーシップを取ってるということなのだろうか(別に悔しくなんてないもん!笑)
さて、長々と愚痴に似た分析なような事をつらつらと書いて来たが一応このブログの題名のなぜという事に僕なりの結論を出そうと思う。
一言で言うと「キャラに食われている」と言う事である。
つまり、先ほどまで人種、人種と書いて来たがそういう人種ではなくキャラなのだ。この場合のキャラとは人からどう思われてるかどうかという事にさせて頂く。
その人が生きて来た中で人にどのように思われてきたと感じているかが大きな要因だという事である、こんな場合みんなが思う「オラオラ系の自分」はどんな行動を取るだろうという事が行動原理であると考えている。
なぜなら案外そのキャラの人達は一対一の状況ではそこまで理不尽な態度を取らないからである、あまりに一対一の状況で理不尽な態度を取りすぎるとその場のコミュニケーションが円滑に進まない事を分かっているからである。ただここにもう一人以上の人間がいる場合その場の空気が生まれ彼らのオラオラ系のギアが入る、そのあとは先ほど書いた通りである。
今日もどこかで僕らが作り出したオラオラ系は誰かを威圧し、「みんなからこう思われているんだという自分」を表現しているのである。
書き初め
ここにまずなぜこのブログを始めたのか書いておきたい
端的にいえば
・どんなコミュニティーにでも僕と似たような考え方の人がいるのではないかと思ったから
・何年か後に見たら面白いんじゃね?的な軽い思い付き
・ギャンブル以外の趣味が欲しかったから
こんなところです、今後は日々の思ったことや時事なんかにも触れていければと思います