あの時のおじさんの本音
今週のお題「激レア体験」
これは僕が小学生の時の話。
僕の小学校は学区が広く遊ぶ場所は様々だった。大人になってみればすごく近い距離でもその当時はすごく遠い様に感じた、川を越えた先にある公園で遊んでいた時の話。
川を越えた側の友達も何人かいたが児童数は川を渡らない、僕の住んでいる側の方が多かったので僕らが川を渡って遊ぶことは稀だった。だが小学4.5年生くらいの時みんなでそっち側の公園が広いから遊ぼうという話になった。その公園はすごく広く、今まで遊んだ公園の中で1番くらいの大きさでテンションが上がったのを覚えている。僕ら以外にも何組かのグループがいたが僕らが1番年上のグループだったと記憶している。
そこでしばらくいろいろ遊んだ後、なんとなく休憩の雰囲気になり、何人かはベンチに座り、何人かはジャングルジムに座り、何人かはなんとなく立ったり、うろうろしたり、とくに何にもない時間が流れていた。その時僕はベンチに座っていたと思う。
すると、ある友達が少し先のベンチの下から大きなカバンを見つけてきて僕らに集合をかけた。そのベンチには僕らが来た時から誰も座ってはおらず、置かれてすぐの様な感じではなかったと思う。しかし、みんなの反応は様々だった。大きく分けると何もなかった事として元の場所に戻そう派と、警察に忘れ物として届けよう派と、とにかく中身が何か気になるから開けよう派に別れていた。正直僕がどれ派だったかは覚えていないが、そのカバンはとても大きく(ボストンバック位)これを忘れるなんて有り得ないだろうなと思っていたことは覚えている。
結局、開けよう派のリーダーが半ば押し切る形で中身を確認することになった。
カバンを開けると中にはびっしりとエロ本が入っていた。あの光景は今でも忘れない。ざっと50冊以上はあったと思う。多感な我々はまさにお祭り騒ぎという言葉がぴったりというくらいに騒ぎ立てた。みんなでキャーキャーと喚いているとどこからともなくおじさんが現れて僕らに「こんなものを見てはいけない。僕のような大人なら処分の方法を知っているから貸しなさい。」と言って、僕らが騒ぎながら持っていたエロ本も全部回収して、そのカバンに無理やり詰め込みカバンを担いでサッと去ってしまった。あまりの早技に僕らは狐につままれた様な感じでスッと静かになった。
すると誰かが「まああのおじさんに任せればなんとかしてくれるだろう」と、なんの根拠もないことを言いだして、それに何となくみんなで同調した。
その日はその後も少し遊んで帰ったがエロ本を見つけておじさんが去ってからの記憶があまりない。なんとなくその時遊んでいた全員であれで正解だったのかなというテンションでそれ以降その話題について出ることは卒業まで一切なかった。
今、時が経ち冷静に振り返ると本当に児童教育に精通している方でその後の僕らへの影響を鑑みてくれてその様な行動を取ってくれた可能性はあれど、あのおじさんはどこから現れたのか、ほんとに処理してくれたのか、元々おじさんのものだったんじゃないかとか邪推をせずにはいられない。
だいたい、エロ本を公園のベンチの下にカバンに入れて捨てるってどういうことだよ。もし忘れ物だとしてそんなにエロ本を持ち歩いてるやつってなんだよと思う今日この頃です。
あの時、何となくみんなであれは正解と思えていた純粋さを忘れ、歳を取って邪推してしまう事を少し恥じつつ、これが大人になるという事かと思いこの話を締めさせて頂きます。
結局キムタク理論
もう一度見たいドラマはたくさんある。「花より男子」は受験期真っ只中だったのに死ぬほど見ていたし、「オレンジデイズ」を見てキャンパスライフに恋い焦がれていたりした。「ルーキーズ」の再放送が夏休みにやっていた時なんて夏の補習をサボって見ていた。最近のでいうと「逃げ恥」なんかかじりつくように見てたし、「住住」はすごく好きでそろそろ新シリーズが始まることにワクワクしている。ここ3.4年で動画配信アプリが増えた事で見返せるドラマが増えたが逆にいつでも見返せると思ってしまいなかなか見直さなかったりする。便利すぎるのもまた不便の始まりなのかもしれない。熱心に連ドラの再放送の録画をしていた頃が懐かしい。
しかし、題名の通り僕はキムタクの主演のドラマがとにかく好きだ。
特に、「グッドラック」と「プライド」が好きだ。それで昔の僕はパイロットにもアイスホッケー選手のどちらにもなろうと思ったくらい好きだ。結局どちらにもならなかったが2.3年に一度はそのどちらかを見返している。よくキムタクはキムタクの役しか出来ないじゃんという意見を耳にするが、逆にキムタクの役ってキムタク以外誰が出来るのかって思っています。笑
キムタクにオファーが来た時点でああいった役でのオファーであり、キムタクはそういった役のプロフェッショナルな訳で万事需要と供給がピッタリという事だ。
しかし、昨今のテレビ離れによりキムタク神話も崩れたと言われてきている。出れば確実に20%を超える時代は過ぎてしまったかもしれない。(最近はそんな視聴率を取るドラマなんてないが)
そこで最近はキムタクの役にも少しシフトチェンジが為された。昔は才能に恵まれた天才か真っ直ぐな熱血漢の役が多かったが「ALIFE」の心臓外科役で努力の職人タイプを見事に演じ切った、あそこで少しシフトチェンジがなされたと勝手に睨んでいる。(しかし、「グランメゾン東京」ではまた天才に返り咲いた。笑)
ああいった役もとても良かったし、今後はそういう役が増えるのもいいなと思ったが、天才のキムタクを見ていないと少しソワソワする自分もいる。
とにかく、ごちゃごちゃと語っていたがキムタクはカッコいいってことです。
ああいう男になりたいと日本国民の半分は思ってるんじゃないでしょうか?まあ、だからといって首からゴローズをジャラジャラと下げる気にはならないんですが…笑
新生活の前に「グッドラック」見て熱い気持ち思い出そうかな。
以上です。よしなに。
ライアン・ゴズリングになら
僕はライアン・ゴズリングが大好きだ。めちゃくちゃイケメンってわけではないのかもしれないがなんか所作がセクシーな気がする。ララランドのピアニストも、ラブアゲインのモテ男も、オンリーゴッドの勃起不全系男子も、プレイス・ビヨンド・ザ・パインズのバイク乗りも、全部好きだけどやっぱりドライヴのライアン・ゴズリングが1番カッコいいと個人的には思ってる。ブルーバレンタインの青年期もカッコいいけど…笑
ドライヴの良さはあのセリフの少なさ、表情でこちらにはいろいろ伝わる感じ、かっけー。僕と真逆の人間過ぎていつ見ても僕は喋りすぎだな、もう少し女性の前では静かにしておこう、ミステリアスに振る舞おうと思うのだが、いつも無理である。
それからラスト間際のキスくらいまで好きアピールというかそういう感じを言葉ではほぼ出さないんですよね。表情だけなんですよね、まあ表情見れば好きってわかるんですけどね。あれはすごい。あの表情を見てると言葉より表情とか醸し出す雰囲気は自身の熱量をよく伝えるなと感心する。
ついつい人間は言葉があるせいで便利な分、何かを失ってるんじゃないかと生意気にも思ってみたりしてる。
ララランドのラストシーンの表情とかなんか好きであそこばっかり何回も見てしまっていた時期がある。
映画の話をするといろいろ詳しい方がいてネットで調べれば様々な見解があって面白いがその分有名なレビューについつい寄った考え方をしてしまう時がある。〜さんはこう書いてたからなと思ってなかなか映画の事をブログに書いたりすることを憚られていたが今回はその殻を少しだけ破って好きな俳優の記事を書こうと思って書いた。
ドライヴはすごく好きな映画だがこれを好きって言う事自体が少しかっこいいんじゃないかと思っている部分もあり、それを指摘されると少し恥ずかしいが、映画ってそういうものとしても存在するからいいんじゃないかと思う時もある。(こういうものをかっこいいと思ってますという名刺代わりとして相手に伝えるものというか。)
多分、このブログで映画の事を書くのは最後になると思う。(とは言いつつまた書くかもしれないが…)
結局何が言いたいかというと僕はライアン・ゴズリングが大好きで彼になら抱かれてもいいと思う夜もあると言うお話です。ありがとうございました。笑
宝の山か?いいえゴミの山です
思い出のWebサービスといってこれを書くと年代がバレちゃうんですが僕が高校生の青臭い少年だった時@peps!が大流行りしてみんなでやっていた。まあ知らない人に向けて説明すると携帯のホームページを自分達で作れるっていう当時からしたら夢のようなサイトだった。その頃はmixi(ログイン出来なくなったからもう一生消す事もできなくなったあのアカウントはどうなるのか…)をやってる人も少なくて自分達のホームページを介して他校の人と繋がったりしていた。ホームページと言ってもプロフィールと写真と日記とリアル(今でいうTwitterみたいなの)しかないようなものなんだけどすごく楽しかった。かなり尖った先輩達は自分達のバンドでページを作ってそこで集客してライブしたりしててこういう時代の最先端の人がYouTuberになるんだろうなと今しみじみ思う。
僕は当時、部活、クラス、仲良かった中学の友達と3つほどページを持っていて、当時の写真とか見て懐かしむため、あえて消していないというか消し方が分からなくてまだこのネットの海のどこかに存在しているページを時々サルベージする。
いろいろ書いてあるが部活の日記なんかはまだ読んでられて、まあそれなりに青春してたなって感じられて爽やかな気持ちになるけど仲良かった中学の友達とのページは見れる人を限定していたから日記の内容がエグイ、ひどくつまらないし、だいたい文章の締めで彼女欲しいって書いてて気持ち悪い。こんなやつは二度と文章書いちゃいけないなーと思いながら今日も筆を進めております。笑
こうやって定期的にブログを書くのを日課にしようと思って久々に見たらあれは酷すぎた。中には何かいいヒントになりそうな事が書いてあるが大体は社会に対する不満(彼女がいない事)に対する愚痴のようなものをつらつらと書いていた。一緒にやっていた友達も似たようなことを書いてる人が多くて、だからそれから10年以上経ってもまだ仲良く遊んでるんだなと変な安心感も湧く。
ぜひ皆様も新生活1日目過去のツイートを見返してみて下さい。明日から頑張れるはず。このブログもあと何年かしたらない書いてるんだこれって思う日が来るのかと思うとまあ悪くないのかなと言うことで締めさせていただきます。
アオシマ?いいえチンタオです
好きなビールは青島ビールということにしています。数年前香港に旅行を言った際に英語も中国語も実力不足でなかなか町の食堂みたいなところで注文が通り辛く、大変苦労していたなか青島だけは伝わり思っていた倍のサイズの缶が出てきてお腹がタポタポになってました。しかしこれが意外と飲みやすく将来青島ビールを爆買いして町中華のお店でビール瓶をいれてあるような冷蔵庫を青島ビールでいっぱいにして家に飾るんだとその日決めました。
思えばそれよりも更に数年前にタイヘ旅行に行った時もシンハビールに対して同じような感情を抱いていたような…
もちろん、普段の居酒屋ではそんな感じで尖った注文もしないし、青島ビールやシンハビールがあったとしても頼まないし、とりあえず生でって言うし。ただ昔はスーパードライ派だったけど最近はキリン一番搾り派ってくらいです。
ビールの詳しい人は濃いのが正義みたいなことを言う方が多いような気がするけど僕はよく分からないから薄くて水みたいに飲める青島ビールでええんや!って話です。
コーヒーとスローライフ
僕は数年前、スローライフという言葉をダラダラして怠惰な生活を送っている事に対して罪悪感を抱かないために使っていた。
本来のスローライフとは多分全然違う意味だし、本当の意味でスローライフを送っている方には大変申し訳ないと思っている。
その頃僕にはたくさん時間があった、なぜかは長くなるので説明は省かせてもらうが、とにかく朝起きて、朝ごはんを食べて、コーヒーを飲んでジョギングして朝風呂して出かけていた。これが僕のスローライフと呼ばれていた生活だ。全く持って地産地消とかそういった概念は持ち込まれていない、とにかく朝起きてから出かけるまでに時間がかかること、それをスローライフと呼んでいた。朝起きてベッドの上でYouTubeを2時間見ることもスローライフと呼んでいた。酷い間違いだ。
ただ、月日は流れ僕のスローライフは徐々に陰りを見せ、朝のジョギングは無くなり、朝も食べない日も増えた。しかし、コーヒーは飲み続けていた。夏はアイスコーヒーにしたりして。だからといって豆に詳しくはないし、どこ産の豆がいいとか思ったこともないし、そういう話を好んでするやつとは多分仲良くはなれない。ただ何となくお店に行ってジャケ買いが如く何となく買って飲んで「あっ!味が変わった」なんて思って3日位するともう前の味は分からなくなっている。
一応拘り的なことを書いておく、こんな僕でも普段は生意気にブラックで飲んでいる。何が一番通なのかはわからないがなんかブラックの人は通っぽいよなぁと軽い気持ちで飲みはじめたらそのままの味に慣れてしまってあんまり砂糖やミルクは入れない。ただスターバックスラテは飲む。なんかスターバックスでブラックってなんか違う気がする。ごめんなさい、この辺の界隈は詳しい人がたくさんいるので言及は控えます。スターバックスは一種の宗教臭がしてなんかあまり行かないってだけで、行ったら行ったで美味しいと思っているし。
ブラックが普通になった時、定食屋さんで食後にコーヒーが出て一人一人にフラッシュとガムシロのパックを持ってきてくれた時なんか全員に配ってくれるのに入れないの申し訳ないなと思って入れてみたことがあって、それはそれで美味しくてそれからは事前に聞かれたらブラックと答え、ミルクと砂糖を何も言わずに付けてくれたときは使うようにしている。一応これが僕の拘りだ。だからなんだって話だが。
とにかく、スローライフという名の免罪符を手にダラダラしていた頃が懐かしいって話です。得られたものは少なかったけどストレスは少なかったかなと…
少女漫画という悪の教典
2017年ごろに下書きしていたものがあったので加筆して世に出します。
題名の言い回しは昔ケンコバさんが言っていたような気がします。
僕は案外昔から元気いっぱいで学校のクラスでも元気いっぱいにはしゃぎ回り元気いっぱいに滑り散らかし、なんやかんやで友達も多かった自負がある。
こんな感じの男の子は少女漫画でいうところの「咬ませ犬の結局ヒロインと付き合うことのできない元気のいいヒロインの幼馴染」サイドの人間だったと思う。
昔の自分を冷静に振り返ってみるとやはりモテてないし、顔がどうのとかそういうことを置いておいて立ち位置的にアシストやパスを出すタイプまたは、強制的に空気読まされて「じゃ、先行くわ!」なんて言いたくもないセリフを吐かされていたようなタイプだった。
その当時モテていた人間はやはり少女漫画漫画のヒーローよろしくクール目で時々アツさ出す前髪重め男子だったように記憶してます。
こういうタイプの男子は実世界に存在してるやつの場合、他の男子との絡みも少なくなく全然いい奴であることが多いんですが少女漫画では孤高の狼感を誇張して書かれていることが多い印象だ。
そのヒーローは学校では無愛想でヒロインにも冷たく当たっているが、実は小さい兄弟のために弁当屋でバイトしてそこから余ったお弁当を持って帰って弟や妹に食べさせてるみたいな、到底普通の高校生じゃ勝てないくらい大人にならざるを得ない状況であったりする。
その状況を知ったヒロインがなんか私しかあの人を理解できない!みたいな謎のテンションになり普段からすごく優しくしてくれる幼馴染みを咬ませ犬として扱い、時々だけ優しくされるヒーローの優しさを本物の優しさみたいに大事にして最終的には結ばれるという、ほぼこの感じのステレオタイプの少女漫画が多いと思う。(もちろんこの手のタイプだけではないとは思いますが、マジョリティーとして)
このステレオタイプの少女漫画を悪の経典と呼んでいるという話である。
世の女子もあの漫画のキャラそのままのような人がこの世にただ1人すら存在しない事は知っていますし、そういう人が良いと口に出す女子はいません。しかしながら、多分女子の細胞レベルでそのタイプの男性への憧れ、神格化は確実にあると思う。
冷静に考えれば、普段から仲が良くいつも優しくしてくれる幼馴染みにいくべきなんです!タッチはそうなんです!ええ。
しかし、この2人が同時に好意を寄せた場合、明るい幼馴染みタイプのやつが勝ったのをこの目で見たことがありません。
いつも前髪重めこ黒縁メガネのクール野郎が持っていくんですよ。
しかも、良くないのはどちらのタイプもルックスが良く書かれているので男が読んだ場合ふに落ちない訳ですよ。こいつは不細工だから振られてた訳じゃないよね?仲良くしすぎた、優しくしすぎたからフラれたんだよね?って危険な思想に行き着く訳です。
世の男性が全て女子に初対面ではキツくあたりこっそり優しくするようになり、履き違えた男は女子に謎に強くあたるだけの奴みたいなが現れる事になります。
しかも良くないことにこの幼馴染みタイプはこいつの気持ちをよくわかってくれるヒロインの親友的なポジションのやつから好意を持たれてたりすることが多く、さらに、ヒロインへの気持ちがあるためにその子をフルという謎に辛い場面まで書かれたする訳ですよ?これをしっかり読み込んだ男がたくさんいたらどう思いますか?えっ?フッといてフラれていいとこなしじゃん!俺も無愛想で女に冷たくあたるぞーってなりませんか?なります!…なるかもです。
少し話を戻しますとステレオタイプ化された少女漫画を恋愛のバイブルとしてはいけないってことです。
だからこの手のタイプの作者さんがいたら咬ませ犬の幼馴染みにもフラれた後素敵な彼女が出来る様に書いてください!
自分が学生時代そういう風なキャラに近くて彼女が居なかったからって幼馴染みキャラに肩入れしてる訳では無いですからね…